32. 尾上のマザーテレサ
お彼岸に、バッチャと墓参りに行きました。バッチャと神社仏閣に行くと、必ずバッチャは手を合わせて祈ります。
「師匠とマペ太郎、風邪引きませんように。師匠のお父さんとお母さん、風邪引きませんように。お地蔵様、どうぞお守りください」
と。神社の神様にも、墓所のご先祖様にも、村のお地蔵様にも一律に「家族が風邪を引きませんように」と熱心に手を合わせるのです。
現代っ子の私は、さすがにそこまで祈らなくても、風邪ぐらいなら引いてもいいんじゃないかと思ってしまうのですが、本当にバッチャの祈りは「ひ孫んど(ひ孫たちが)、風邪引きませんように」の一言に尽きるのです。
2010年の3月は、ご近所や親戚に不幸が相次ぎまして。バタバタと葬式だなんだとしているうちに、月末になってしまいました。その間、バッチャは亡くなられた方の家にパパーッと駆けつけて、悲しんでいる家族を前にこう叫ぶのでした。
「おバッチャ! そう泣いてばかりもいられねえべ? 部屋片付けねば、和尚さん来られねえよ!」
と、一斉に仏間の片付けを仕切り、おろおろする家族を駆り立て、通夜から葬式までの手伝いを始めます。今回のお葬式で初めて、「忌中」というものが3週間も続くものだと知りました。
「忌中の間は、まんずどこから電話来るかわからねっきゃ? んだはんで、留守番しにいってくるはんで!」
そうバッチャが言うので、聞いてみました。
「忌中って一体、どのくらい続くんですか?」
バッチャは言いました。
「みなのか!」
みなのか。つまり、3週間バッチャは毎日ご近所で不幸のあった家に通い続けるのでした。そしてそこで何をしていたのかというと、「たんだ、ねまってる(座ってる)だけ」だそうです。バッチャのいう通りに、近所の仲の良かったバッチャ達がただひたすら座って、そこの家のおばあちゃんの話を聞き続けるのです。
「死んだばって、孫もいたし、ひ孫も生まれたし、いい人生だったべ!」
と、亡くなった方の人生を「いい人生だった!」と、励まし続けるのです。
バッチャは、村のマザー・テレサみたいだなあと感じます。そして村にはバッチャのようなマザー・テレサが、本当に何十人もいるのです。
何かがあった時、駆けつけてくれる人。うちひしがれた家族の代わりに色々なことを取り仕切ってくれる人。そんな人たちが周りにいることは、本当に心強いことです。
どんな葬式が1番いいスタイルなのかはわからないのですが、バッチャ達の取り仕切る葬式のように、バタバタと忙しく、駆け抜けていくような葬式は、しばらくの間、大切な人を亡くした悲しみを忘れさせてくれるだろうと思います。
そして、終わってもまだ近くにどこかのバッチャがいて。茶菓子でも食べながら、故人の思い出を語って。もやもやとした気持ちが言葉という形になって、心ゆくまでその思いを語り続けられるなら、それがいいなと思ったのでした
秋田の私の実家の方もそんな感じです。
誰くるかわがらねし、電話も来るべ。
誰か必ずいねばねーのよ。
と言って、ばーさんはいそいそと出掛けて行きます。
今の時代、携帯さえあればつながれるんだからって世代にはちょっと分からないような感覚かもしれないなぁ。なんて思ったりします。
でも、ばーさんはいそいそと出掛けて行きます。
そして、いかに故人が「のごれぐねがったか(後悔の無い生き方をしたのか)」をお茶っこと漬け物で話をするんですねー。
どんなに嫌われ者で仲が悪くても、具合が悪くなると見舞いに行き励まして、亡くなってからは絶対その人の悪口を言わないうちのばーさん。
面白い人だなぁって思います。
スイッチ家のバッチャの話を聞くと、うちもうちも!と思い出す事がたくさんあるなぁ。
おふくさん
いつもマグロばあちゃんのお話ありがとう!
バッチャ達の世界って、なんか豊かだよねえ……。
時がのんびり流れている気がします。
スイッチ