無意味せんげん - 山田スイッチ –
山田スイッチは、一切意味を求めません。ちなみに7歳男子と3歳男子を田舎で子育て日記。
2014/06/30 カテゴリー: ダーリンはブッダ。 タグ: ダーリンブッダ悪魔 ダーリンはブッダ 第1回「恋の悪魔」 はコメントを受け付けていません
イラスト / ナカエカナコ
 
山田スイッチ初の長編小説! 
仏教系学園ラブコメディー「ダーリンはブッダ」
 
〜あらすじ 〜
 
ヒカル(真光 まことひかる)の学校にボロ布1枚をまとって現れた転校生の冴馬(剛玉冴馬 ごうたまさえま)は学園一のヤンキーであるタカハシと供に「仏教部」という仏教の部活動を始める。美しくあってもボロ布1枚で人目を引く冴馬はヤンキーの巣窟・北高の伝統である「締め上げ週間」の対象にされてしまう。そうとは知らずに仏教部の存続のために拒食症のガリ子(細木咲子 ほそきさえこ)や過食症のデブ子(大山裕子 おおやまゆうこ)を仏教部に引っ張りこんだヒカルは、冴馬をおびき寄せる罠として北高のヤンキーにさらわれてしまう。果たして、冴馬は説法一つで北高の100人を超えるヤンキーたちを倒すことができるのか? むせ返る青さの、青春小説!!
 
ダーリンはブッダ / 山田スイッチ                                                                                    
第1回「恋の悪魔」
 
 恋って一体、どういうものなの? 
 もしそれが、胸の鼓動が早くなったりその人のことをどうしても見つめてしまうことなら、うちの学校の生徒は誰も彼もが彼に恋をしていることになってしまう。私だって胸が痛い。痛いし、目が離せない。だけどそれが、恋によるものなのか、彼の……冴馬の、あまりに変わった見た目によるものなのかはわからない。
 県立高校で誰もが皆、紺色のブレザーを着て記号みたいになっているところに、彼は……剛玉冴馬は、まるで理科室のカーテンのようなボロ布一枚を身にまとって、やって来た。
 転校生が注文したブレザーが間に合わなくて、ジャージで登校するのはよくある話なんだけど。ボロ布一枚をまとって来るっていうのは学校以外でも、どんな実社会でもあり得ないことだと思う。インド人だって今時、ユニクロの服を着ていると思うわ。だけど、飛んできて注意しようとした先生、数人を冴馬は静かに見つめて、教化してしまった。たしか、冴馬が言ったのはこんなことだったと思う。
 「私たちは目があるせいで、見えるものに振り回されて、その本質を見ることができないでいますね、先生方。あなた方は、服装というものに振り回されても、生徒達の本質をきちんと見れていますか? そして自分の心をどこかに置き去りにしていませんか?」
「こ……心!?」
 これは、近くにいた生徒がまるで伝説的に語ったことだけど、その日あった出来事は学校中に広まって、私の耳にまで届いてきた。その日から、冴馬は全校生徒に「ブッダ」と呼ばれるようになったのだ。
 名字も剛玉だから、インドで2500年前に悟りを開いた、ゴータマ・シッダールタの生まれ変わりだなんだと噂されるようになった彼は、突然現れたにも関わらず、転校初日で全校生徒に知られる存在になった。
 インド人のようにボロ布一枚をきれいに纏い、こっちが悲しくなるくらい美しい顔を持っている。長い髪は漆黒と呼べるくらいに黒く、最近の茶髪か金髪に染めた男子達に比べて、どうしようもなく大人びて見える。それに嫌になるほど、目が澄んでいる。動物の目みたいに茶色くて、光を帯びて透き通った目。そんな目で見られたら、私なんかは自分の中のどろどろが見破られそうで、嫌になる。なのに、遠くからいつまでも見つめていたいと思ってしまう。だけど、彼のそばに寄るのは危険過ぎる行為なんだわ。私は彼に近づくのが、恐い。
 冴馬は、今までに嗅いだことのないようなヒトの匂いがしていた。冴馬がいると、あまりにも懐かしいようなヒトの匂いがして、嗅いでしまうと何かが狂ってしまいそうになる。何か、忘れていた風景を思い出させるような冴馬の匂いは、先生方が冴馬に「制服を着ろ」と言えない雰囲気を作ってしまう。熱烈に恋しいという気持ちにさせてしまう。そんな彼のことだから、本当は女にも男にもモテるんだろうけども、この学校ではまだ、彼に声をかけることができた人間はいない。かける前にまず、普通の服を着ていないというハードルがあるし、近づくとどうにもならないような気持ちになるあの匂いがあるし、そう思って誰も声をかけられずにいたら、彼は……あの忌々しい看板を手に持って、この学校になかった新しい部活動を立ち上げてしまったのだ。
 それが、うちの高校が一時期google検索で七位にまでなった、「仏教部」の看板だった……。
 
「ヒカル! アンタまたブッダくんのこと見てるの? よしなって! 5秒以上見ると目がつぶれるって摩耶が言ってたわよ!」
 また冴馬に関する新しい伝説が生まれていた……。摩耶は校内一噂好きな女子だ。目がつぶれるって、そんなことを言われた高校生が今までに存在しただろうか。
「夏樹……冴馬ってさ、あの仏教部の部室の中で一体、何してるのかな? 授業が終わると大概、あの中で静かにしているじゃない? 昼休みも黙って部室に行っちゃうし。そういえば、冴馬がお昼食べているところ見たことないや。」
 声をかけて来たのは渡辺夏樹。私の十年来の友人。小学校から一緒で高校でも同じクラスになった。夏樹には春樹という姉がいる。春生まれの姉、夏生まれの妹。そして冬生まれの弟がいる。もちろん、弟の名前は冬樹だ。
「いや、なんか噂じゃ瞑想とかしているらしいよ? 座禅組んで黙って座ってるって。この間、7組の女子がブッダ君恋しさにとうとうあの仏教部の部室を開けたんだって。で、そこで瞑想しているブッダ君と目が合って……、卒倒して保健室に運ばれたって話だよ。」
「すごいね……。あの部室、開けたんだ。」
 仏教部というものを冴馬が始めた日、うちの高校の誰もがTwitterで冗談のような本当の話としてうちの学校に仏教部という部活があるとつぶやいた。仏教部の看板を画像で載せる生徒もいた。その十数人のつぶやきは、一気に日本中の注目を浴びる結果となり、yahho! ニュースにも見出しがつけられて、冴馬は驚くべき変人として取り上げられた。
 だけど、冴馬自身がインターネットというものをまるで使わない人間だったためか、世間の盛り上がりも2ちゃんねるでの騒がれようも全然気にすることなく彼だけが平穏な生活を送り、周りにいる……そう、ただいるだけの私たち。同じ学校だというだけの私たちが、ネット上に溢れる我が校の汚点、仏教部という文字が躍るのに振り回された。そして、ある朝怒りは沸点を迎えた。
「おまえ、2ちゃんでうちの学校、騒がれてんだぞ? あのふざけた看板、降ろせや!」
 冴馬に食ってかかったのは、身長190センチはある赤髪リーゼントのヤンキー、タカハシだ。タカハシはヤンキーらしくシャツと靴下の色が赤い。髪も赤いし、赤鬼みたいだ。うちの学校には珍しいヤンキーで、タカハシは賢すぎるヤンキーとして有名だ。何せ、受験会場に剃り込みを入れたまま180度の角度で足を開脚してパイプ椅子にふんぞり返ったタカハシは、志望動機を言う前に私立の受験を面接で落とされ、その腹いせに受験校の窓ガラスを頭突きで6枚割ったと言われている……。
 その場に居合わせた中学の担任が「事故」で片付けたから公立を受験できたとも言われているけど、うちの学校は県内一の進学校で、言ってしまえば頭さえ良ければ誰でも入れる学校なのだ。それ故にちょっと、変わった人が多い。だけど冴馬は、冴馬だけは別格だと思う。
 タカハシはズボンからはみ出たチェーンをじゃらじゃらいわせている。何かあったらあのチェーンで冴馬にかかっていきそうだ。だけど、冴馬はにっこり笑って言ったのだ。
「高橋君……ですね。人は、そんなに人に夢中になれるものではありません。一度に熱くなって、時が来れば必ず冷める。そういう性質を持った者達に振り回されてはいけません。2ヶ月間黙って見ている価値はあると思います。どれだけ、この世で起こる事象が移り変わりやすいものなのか、たったの2ヶ月でわかります。その2ヶ月を、僕に賭けてみませんか?」
 正面切ってものを言われて、タカハシは何のことだかわからずうろたえていたけど、ヤンキーのタカハシは「賭け」と言われたら乗るか反るかしか考えないみたいだった。そしてどういうわけか、タカハシはまんまと冴馬に丸め込まれて何故か、自分がその仏教部に入ってしまったのである。
 ヤンキーのタカハシが部活動を始めたという噂は、全校生徒の知るところになった。しかもあの仏教部……。
「あの部活って、入部できたんだ……」
 そう誰かがつぶやいた。それぐらい、部活という爽やかな言葉とは縁遠い、まがまがしいオーラを仏教部の看板は放っていた。しかも昼時になると冴馬とヤンキーのタカハシが黙ってその部室に消えていき、タカハシの怒鳴り声が響き、その数分後にシーンとした静寂が訪れることを誰もが知った今、あの部室で一体何が行われているかは全校生徒の関心の的であり、また恐怖の的でもあった。
「ヒカルはさあ、この高校生活をまともなものに過ごそうと思ったらさ、どう考えてもブッダ君には関わらない方がいいと思うよ。あんた、名字だってマコトだし、真光って名前で小学校の頃、いじめられてたじゃん? マヒカリ様〜って。」
「そんな思い出したくない過去をよく言うよね……。確かにうちの親のネーミングセンスは疑うけど、冴馬のことは、たぶん。みんなが気になってるわけじゃない? 嫌がってるけど気にしてる。だとしたら、私は特別じゃないわけよ。私は、一般人ってわけよ。永遠に見つめるだけで終わる一般人よ。胸は痛いけど、恋じゃないし。あの部室を開ける勇気は、私にはないもの。」
「ああ〜、なんかこの間より深刻化してる。ヤバイよ、それ。もう恋だよ。深刻になるのは恋だよ。よりによってあんなヤツなの? ヒカルの趣味って、本当に昔っから変わってたもんね……」
 すると教室の後ろのドアを開けてサッカー部の男子が「夏樹!」と大声で呼んだ。
「あ、今行く!」
 夏樹は慌ててバッグに机のものをぶち込むと、
「それじゃあ私、部活の洗濯あるから、もう行くわ!」
 と、大きく手を振って急いで教室から出て行った……。
 夏樹は、入学してすぐにサッカー部の女子マネージャーになった。一緒にやろうと言われたけど、私はサッカー部に興味が持てなかった。青春して、キラキラしているのがなんだかついていけなかった。女子マネになって夏樹は、すぐにさっきの男子と仲良くなって、もう私のことなど視界に入っていない。小学校からずっと一緒にいた無二の友人だと思っていたのに、なんだろうこの、急な喪失感。夏樹を取られて、夏樹は新しい生活を謳歌していて、もう私のことは過去になってしまっている。ほんの数ヶ月前まで夏樹の隣にいるのは私だったのに。
 こんな私の、普通の喪失感に満ちた毎日。きっとみんな、言葉には出さないけど、毎日の生活で微妙な喪失感やアンニュイを感じているわけで、魂の元気はどんどん抜けて、授業中のあの、重苦しい空気を生んでしまうんだわ……。
 気のせいかいつもより重い鞄を持って、玄関に向かう。秋の校舎は金木犀のむせっかえる匂いがする。空から降ってくるような金色の花の香り。私はきっと、鼻がいい。鼻がいいから、冴馬の匂いを無視できないんだな……そう思っていると、校舎を出てすぐに金木犀の匂いに交じって冴馬の強烈な匂いが風に乗って漂ってきた。
「えっ、嘘!」
 だけど視界に冴馬はいない。私は、自慢じゃないけど鼻だけはすごくいい。匂いを外したことはない。匂いだけでどこの家が今日、何の夕飯を作っているかわかるし、香水の匂いを追って電車の車両を当て、母親に忘れ物のお弁当を届けたこともある。母は、今時の人が使わないメモアールっていう資生堂の香水を何十年も使っているから、匂いで見つけやすいのだ。
 大急ぎで靴を履くと、私は冴馬の匂いに集中した。懐かしく、大陸的な、肌の匂い。この匂いには化学的な香りが一切、交じっていない。普通の人はシャンプーとかリンスやボディシャンプーの匂いがするんだけど、冴馬からは本当に、人の匂いしかしないんだ。
「……そこ!」
 私はあり得ないことに匂いだけを頼りに中庭まで走り、植え込みに顔を突っ込んだ。すると、冴馬が頬から血を流して倒れていた。
「ななな、何で?」
 近づくと冴馬は顔をしかめて、小さく呻いた。頬の傷から血がにじんでいる。そして言った。
「……高橋君……は?」
「タカハシ? ヤンキーのタカハシ? もしかしてタカハシにやられたの?」
 私は慌てて冴馬の顔を抱きかかえた。あっ、今私、冴馬の顔に触れてる……。途端に顔がカーッと赤くなる。冴馬の体温が伝わってくる。どうしよう。心臓はドックンドックン言ってるし、このままじゃ冴馬に聞かれてしまう。冴馬はゆっくりと上体を起こすと、ふらつく頭を押さえながら言った。
「違う……高橋君が、連れ去られたんだ。よその学校のヤツに……追いかけなきゃ」
「お、追いかけてどうするの?」
「たぶん、連れ去ったのは北校の人たちだから……返してもらいにいかなきゃ。君は、友人が不良に連れ去られた時に家でのんびりテレビを見られる方?」
 好きな人との初めての会話が、こんなに自分を問われるもの?
「の……のんびりテレビは見ないと思うけど、北校に行くなんて、無理よ! あの学校は先生以外は全員、ヤンキーなんだから!」
 北校は不良の殿堂で、全校生徒の8割がリーゼントで改造バイクで通学するような男子ばかりの学校だった。4年前に共学になったけど、女子は入ったら即、犯されるという噂でただの一人も入学していない。タカハシはうちの不良だけど、北校の連中に比べたら力が強いだけで、全然邪悪さが足りない。なんていうか、邪悪さっていうのは卑怯だけど絶対的な勝ちを取りに行くものだから。タカハシには悪いけど、彼はボコボコにされて終わるだろう。北校の連中は、素手でケンカなんかしないって噂だもの。
 冴馬はフラフラと立ち上がって目に強い光を灯すと、歩き出した。
「ちょっと待って!」
 言ってからびっくりした。私、冴馬に話をしている。
「い……行くんなら、私の自転車に乗って行きなさいよ。私、こう見えても真道場の娘だから、脚力あるわよ!」
 すると冴馬は、しばらく考えてからこう言った。
「じゃあ、力を貸して下さい。北校の門の所まで……」
  
 冴馬が私の後ろにいる。あの、遠かった冴馬が今、私の肩につかまって私の自転車に乗っている……。どうしよう、体温が伝わってくる……。冴馬の匂いは、嗅いでしまうと恋しくてどうにもならなくなるので私は、息を吸わないように相当、気を遣っていた。ペダルを漕ぐ足はどうしてか力強く進んだ。
「なんでこんなに親切にしてくれるんですか?」
 冴馬が言った。
「の、乗りかかった船だからよ!」
 違うの、本当はあなたが好きなの。ああ、これで向かっていく先が、北校じゃなかったらどんなに素晴らしいだろう。北校は、近づくにつれて周りのブロック塀のスプレーの落書きがひどくなっていく。あちこちに「死ね」とか、「殺す」とか、そうでなければどうしようもない卑猥な落書きが続いていて、せっかくの好きな人との二人乗りが、台無しになっていくのを感じた。
「おネーさん、西の制服着てどこ行くの? 後ろにいるの、坊さん? 何それ? コスプレの人?」
 後ろから声が聞こえた。ヤバイ。もう、北校の陣地に入ってしまっているんだ。私はブレーキをかけて、後ろにいた人に答えた。
「あの、うちの学校のタカハシ君ってヤンキー知りませんか? 今日、北校の方々に、連れ去られたみたいなんです。タカハシ君は不良ですけど、あまり、連れ去る価値のある不良でもないと思うんです。だから、返して下さい!」
「ああ、高橋〜! 今週の締め上げ週間に写真載ってた、西校の子ね。もう遅いよ。河川敷に行ってみな。たぶん、血だらけになってるよ。」
「河川敷……! わ、わかりました! ありがとうございます!」
 私は勢いで自転車の方向を変え、河川敷に向かう。今の人、北校の生徒の割には、まともな人だったと思う。髪の毛サラサラだったし。それにしても「締め上げ週間」って何? それに載ると締められちゃうわけ? これだから北校は恐いのよ。ペダルを漕ぎ出すと遠くから携帯のシャッター音が聞こえた気がした。あれ、と思ったけど、自転車のペダルを漕ぐのに夢中で、それどころじゃなかった。
「……退屈しか感じない学校生活に、少しでも光を感じたい人が、間違って暴力に上昇志向を見いだしてしまうんだ。暴力は、上昇志向なんだよ。だけど間違った方向なんだ。」
 冴馬が言った。ああ、私、冴馬の声を聞いている。なんて、優しい声をするんだろう。静かで、落ち着いた、よく通る声。
「た……タカハシ君、もうやられているかもしれないわよ? 今から助けに行っても、遅いんじゃない?」
「大丈夫。暴力っていうのは、力によるものでしょう? 受けた瞬間に、ゼロになるように自分が動けば、ダメージは最小限に抑えられる。高橋君は大丈夫だよ。」
 冴馬が何を言ってるんだか、私にはさっぱりわからなかったけど私はその声を間近に聞けるだけで十分幸せだった。
 駆けつけた時、タカハシは河川敷の河原石の上に血だらけになって倒れていた。鼻血が顔面を汚している。私は無意識で女子らしく「キャー!」と叫んでしまった。倒れたタカハシを見て冴馬は静かに歩み寄り、彼の顔を両の手で包みながらこう言った。
「大丈夫。血は、表面上の問題だよ。血を流すというのはひとときのことだよ。いずれ止まって皮膚は再生する。それよりこの見事なやられっぷりは、高橋君。僕との約束を守ったくれたんだね。」
「約束?」
「卒業したら、非暴力団に入るってゆう約束。」
 ひ、非暴力って……! 私は心の中で「ガンジーですか!」とツッコミを入れた。
「暴力で昇りつめれば、いずれ暴力団に入るでしょう? だけど非暴力で昇りつめれば、いずれガンジーみたいになる。本当はね、非暴力の方が暴力的で熱いんだよ。」
「イテエ……なんか、お前と話していたら、ケンカすんのバカらしくなってよお。イテテ。なんつうの? 究極の上から目線だな。相手のクソが何言っても気にならねえから、殴る気にもなりゃしねえ。そのせいか今日は本当に、相手の動きがスローモーに見えちまってよお。それに合わせて飛んだり跳ねたり、転がってたら気持ちよくなってきたな……おう、冴馬これ、なんだこの女?」
「あ、親切な人……。ここまで送ってくれたんだ。」
 私は心臓がぎゅうっと締め付けられるように痛くなった。
(し……親切な人……だよね。)
 私は泣きたくなった。私の今日一日のドキドキの、ドの字も冴馬が受け止めてくれなかったのだ……。私は、「親切な人」なの? それより、自転車を漕ぎすぎてのどが渇いた。足首もガタガタだし手首も痛い。もう川の水でも何でもいいから飲んでしまいたい。もう、何もかも投げ出して帰りたい……そう思ってた時に冴馬が言った。
「君、良かったら、うちの部活に入らない? ねえ、入ればいいと思うよ。」
 なんて、単刀直入で鈍感な誘い文句だろうと思いながら、彼の白くてぼろい袈裟が夕陽のオレンジ色に染められ、冴馬の後ろを流れる川面が光に反射してびっくりするほどきれいになっているのを見ているうちに勝手に口が動いていた。
「入ります。」
「名前、なんていうの?」
「ヒカル。真光……」
 って……ああ、私、あの部活に入っちゃうんだ。テニス部とかじゃなくて、仏教部なのに、部員になっちゃうんだ。今日一日にあったことは全部、本当なのかな−……と思った。
 帰りは夕暮れの中、傷だらけのタカハシと冴馬と、自転車を押しながら歩いて帰った。冴馬の匂いは、私の脳みその大事な部分を壊していきそうで恐かったけど、あの懐かしい、お日様を浴びた布団の匂いを、私は思い出していた。

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